NOV2021 - DEC2021
何かを続けようとすると、何かを変えていくことが求められる。「時代に合った」という言葉は、以前から使われていたけれど、その時代の定義も先行きも混とんとしてきた。答えは自分の中に。1953年にノーベル文学賞を受賞したウィンストン・チャーチルは言った。Kites rise highest against the wind – not with it. I never worry about action, but only inaction.(凧が最も高く上がるのは、風に向かっている時。風に流されている時ではない。行動する事に関しては少しも恐れはしない。恐れるのは、ただ無為に時を過ごす事だけだ。)
SEP2021 - OCT2021
高瀬川の西の堀割・一之船入界隈の秋が終わろうとしている。高瀬川は400年余り前に角倉了以によって開かれた運河だ。高瀬舟の船溜所を「船入」といい、地名になった。京都の中心部に物資を運ぶために最盛期には高瀬舟が離合していたが、明治以後は徐々に舟運の目的を失った。今も当時を思わせるディスプレイがなされているが、とても静かだ。柳がそよぐ川岸を歩き、川面を流れる落ち葉を見れば、気は年の瀬に飛んでいく。
JUL2021 - AUG 2021
人通りが極めて少ない裏路地を歩くのが好きだ。焼き魚の臭い、かすかに聞こえる三味線の音、打ち水、買い物かごを持ったままの立ち話…。観光地で生きる人々の暮らしに包まれながら、ゆっくりと落陽に向かう。ここ数年、隆盛なインバウンドの嵐に、この楽しみが奪われつつあったのだが、疫病の蔓延で、以前の静けさが戻ってきた。できれば、このままであって欲しい。しかし、このままでは、街の経済が回らない。わずか2年前には、こんなことになるとは思ってもみなかった。未来に期待したり、恐れたりするのに意味はあるのか、と思うくらいに急変した。物事は、表裏一体。求められるのは着地するバランスだ。諦めたり、奮い立ったり。小さな感動を積み重ね、小さな感動を周囲に与えて、生きていこう、などと考えながら、そぞろ歩く、夏の夕刻。
MAY2021 - JUN 2021
雨上がりの夕刻の風景。青紅葉ほど心に沁みるものはない。赤く染まる前の短い間の緑の誕生。なぜ、これほどまでに惹かれるのか。人生は良いこと悪いことが背中合わせ。あっという間の人生だもの、過去を振り返っても仕方ない。けれども、なぜか、おだやかなチェロの音色が心の中で奏でられ、揺れる青葉に、古(いにしえ)を思う。どうしてあの時、もっと友と心を開いて話せなかったのか。しばらく贔屓の店に行かず、人伝てに閉店を知った寂しさ。早々と逝ってしまった恩師との思い出。両親と過ごした夏の一日。わが人生、自分は、いま、幸せか。
APL 2021 - MAY 2021
心に刻まれ、残る言葉をたくさん拝聴できる生業であることがありがたい。海外からも工房を訪れる人が後をほどの技を持つ伝統工芸士と話すことがあった。「神は裕福な人、そうでない人、有名な人、そうでない人、どんな人にも平等に死を与えます。何のために生きるのか、何のために決断するのか。誰のために頑張るのか。答えは自分の中にあります。良いものをこの手が生めば、私が死んだ後、100年後も残っているでしょう。私の名前などどうでもいい。自分が生きた証が、大切にされ、そこにあることを夢見て精進しています。好きなんですなぁ、自分の仕事が。幸せです」。
FEB 2021 - MAR 2021
上賀茂神社は桜の宝庫だ。長い年月、人々に春を告げてきた。神事が司られる厳粛な土地に立つ、神からの使い。神社では立春過ぎ日に御殿の裏山で小松を摘んで供えて、春の到来を慶ぶ神事がある。日本人はきちんと春を迎えることを大切にしてきた。時に人生を顧みて。今年もまた、桜は別れと出会いを見守ってくれる。
DEC 2020 - JUN 2021
今年も七草粥を作る。丁寧に生きると言う事は、時間と気持ちを費やすことだな。去年は、生活形態が大きく変わり、丁寧に生きると言うことの意味を自らに問い直すことに。しなくても、あまり影響がないことを念入りにして、続けるのはなぜか。仕事のやり方が大きく変わって、人と会う時間が減った。当分、海外に出かけられそうにもない。レストランで友人たちとシャンパンを飲みながら笑いあうのも先のことだろう。いままでと違う時間が流れていく。いつも忙しく、追われるように生きる中で、うわつかないよう、必死になって、こだわって丁寧に生きてきた。あの、自己満足感が、たまらなく懐かしく、愛しい。