QOL文化総合研究所
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You&Me
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山の端
今年は多くを失った。取材した女優さんに「私、あそこの焼きそばがないとダメなの」と教えてもらった五条通に面したお好み焼き屋さんが閉店した。おばさんたちが、独特の手法で焼くキャベツいっぱいの焼きそばは、海外にも紹介されて、旅行者からも愛されたが、57年の歴史に幕を下ろした。日本を代表するアパレル会社が上場を廃止して倒産。パリコレでおなじみのデザイナーのコレクションを扱っていて、とても贔屓にしていたが、ある日、突然に購入できなくなった。中学時代から通っていた滋賀県大津の百貨店が閉店した。ポストには、日に2,3枚の割合で閉店や廃業の知らせが投げ込まれる。時世と言えば、それだけだけど、しかし、一気に思い出の場所や大好きなものが、手のヒラから流れおちる白砂のように無くなっていく。人の感情に「あきらめ」というのがあって良かった。でないと、惜別の沼から這い上がれない。しかし、失って一番、悲しかったのは何かと聞かれれば、それは自宅から見えていた山々の端だ。自宅の斜め前に広がる、100台ほどの駐車場の敷地半分にマンションが建設されている最中だ。あれほどの広さの駐車場を維持するのは大変だっただろう、と考えていたが、だんだん足場が作られていき、気が付いた。我が家の居間から庭を通して見る山々の端が見えなくなる。試験前日の徹夜明けに見た。海外旅行に行く前に浮き浮きしながら見た。友人からの電話を受けて心配しながら見た。父親とけんかして、申し訳なくて反省しながら見た。何千回と見た。特に美しいのは、山の端が夕暮れに染まってから薄暮に向かう時。励まされ、癒され、あたりまえにあると思っていた時間。その風景がさえぎられて失われた。そして、また、あきらめるんだろう。生きるって、こういうことなんだ。
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悲しみ
大切な人が、ある日、逝った。元気だったのに、突然に。明日はあると思っていたのに。耐えられないのではないかと思うような悲しみが押し寄せる。その人が生活をしていた空間に身を置くと、二の足の裏から体の軸を伝って心臓を射るような思いが襲う。数々の物が遺されたが、中でも洋服と靴下は抱きしめたくなるような愛しさだ。この服を着て、笑いながら紅茶を飲んでいた。歩き方に癖があったから、靴下のいつも同じところがすぐに薄くなった。洗濯が下手だと怒られた。共に異国を巡る旅を満喫した。もう二度とその体に触れることができない。遺された服たちを手にとると、それを着た姿が次々に浮かび、涙があふれた。いつかは訪れると恐れていた別れ。永遠に続くものは何もない。時の流れと共に悲しみは薄れると言う。たとえ、薄れても消えはしない。ありがとう。そして、さようなら。また、会える、その時まで、さようなら。でも、本当は、一度でいいから、すぐに会いたい。
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喝!
年が明けて、今年はさらに良い年にしたいと思っていた。あっと言う間に疫病が世界中に広がり、戸惑いと共に生きることを強いられた。いろいろな変更や断念を余儀なくされた。日本は天災を乗り越えて頑張ってきたんだから大丈夫だと思う反面、情報は錯そうし、終わりは見えそうにないことに不安が募る。しかし、この戸惑いや不安によって、心の真ん中にある軸のようなものを見直すことになったと思うようにしている。あたり前のことがあたり前でなかった。これほどリスクへの価値観の違いが表面化することは無かった。政府や会社の方針・対応への賛同や怒りに始まり、個人の日々の生活のひとつひとつに、自分の考えや生き方とは違う、と感じることが大きなストレスとなり、SNSなどで攻撃せずにはいられないのだろう。知人が通う英会話教室は収まるまで休校にするかどうか、2月半ばに話し合いが持たれた。意見が分かれ、その延長で意見の違う人に「この際、言いますが…」と、普段我慢できない相手への不満の言い合いが勃発した。結局、公民館そのものが閉めたことにより、気まずいまま休講となったらしい。高価転売、風評被害…こういうことが、あちこちで発生していて、疫病の蔓延そのものに、さらに見えないプレッシャーがのしかかっている。結局は自分を保護できるのは自分でしか無く、生き方を律し、品格を持って生きていくしかない。がんばろう、日本。喝!自分。
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ドレスコード
仕事で台北に行き、数年前にできたばかりの超高級ホテルに宿泊した。出張の予算からはオーバーするが、買い物をしたり、美術館をゆっくり巡ったりする時間は望めないので、せめてホテルでの滞在を楽しみたい、と思ったからだ。クラブフロア階の宿泊者は専用のラウンジで自由にシャンパンやちょっとした食事を楽しめる。予約時にドレスコードはカジュアルエレガンスと伝えられた。が、部屋に備え付けてある簡易スリッパで来たり、下着同然のようないでたちで酒を飲み大声で話しているグループが数組あった。ホテルの中のミシュラン一ツ星のレストランでも指定されたドレスコードは完全に崩壊していた。そこで、はたと考えることとなった。半パンやビーチサンダルなどは禁止、男性はジャケット着用という緩やかな規則を誰のために、何を目的に守るのか。本人たちは意味と意義を知らないだけ?それなら、いつかは解るだろう。しかし、「そんなの勝手でしょ」と言い切るかもしれない。その場面でしかるべきとされる服装を周囲への配慮から強要されること自体が理解できない人が大半を占めだしたら?20代のころから服装だけではなく、あらゆることに“ドレスコード”を意識して生きてきたが、何でもアリの最近は、もはや人生のドレスコードを守ることは自己満足にすぎない、と思うほどだ。
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惜別の忘れ物
携帯電話をタクシーの中に忘れた。しばらく車中で打ち合わせをし、握ったままウトウトして、終電を逃しそうになって慌てて降りてしまったのだ。気が付いたのは自室に戻った真夜中。困惑と後悔。落ち着け。まず、データーはバックアップしてあるし、ロックがかかっている。本体は、また買えばいいじゃないか。出てこなくても、しかたない…。次の瞬間に気が付いた。大切にしたいものが入っていたのだ。短い留守番電話。声の主は入社してすぐに御縁をいただき、本当にお世話になったある企業の元社長。「ああ、○○や。君に紹介したい人物がおるから、都合のいい時に電話しなさい」と入っていた。今年初めに急逝され、時を同じく奥さんも入院されたために訃報が遅れて届いた。90歳を越え、すでに引退され、年に数度、食事をする程度だった。昨年末、忘年の宴席で「君は欲が無い。欲が無い奴は信用できん」などと叱責され、なぜか、その声が心地よく、再び、会えなくなるとは思わずに「はい、はい。では、また来年もよろしくおねがいしますね。欲を出す1年にしますので」と陽気に別れたが、それが最後になってしまった。しばらく携帯電話が不通だったので予感があったせいか、訃報を聞いた時に不思議と涙が出なかった。実感が湧かなかったのか、ふわふわとした気持ちで時が過ぎた。その方と一緒に写った写真を探してもみつからず、消し忘れた短い留守番電話のみが思い出となった。警察署に届いた携帯電話を受け取り、鴨川沿いの土手に座って、恐る恐る留守番電話を再生してみた。その声が無事、聞こえてきて切れた瞬間に、涙が止まらなくなった。
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ひとりは寂しいものなのさ
その時に思ったことをつぶやくtwitter。カルチャーや時代を常に意識せざるをえない仕事ゆえ、ときどき、見ず知らずの、しかしながら、その世界では名の知れた、つまり身元が判明している20代のつぶやきをマーケティングを兼ねて読む。もう、お気づきの方も多いと思うが若者は一人でいるのが嫌いな様子。「いま、部屋にひとり。なんか、死ぬほど寂しい」「僕は暇です。だれか一緒にメシを食ってください」「大学を卒業して孤独を知った。これから、だれか会いませんか?渋谷で」などなど。若者よ。人との交わりは貴重な財産だけど、泥に沈むナマズみたいに布団の中でじっと焦燥と孤独に一人で耐えるも欠かせない大切な時間。年を重ねるごとに孤独に慣れるが、いくつになっても変わらずに、こたえるはず。孤独は大波のように、どんどん気持ちを侵食するが、沈んだところから上を見て、生まれる希望や歓びに確かな手ごたえがあれば、生きる力になるよ。生きるという事は、そんなに簡単ではなく、だれでも自己嫌悪に陥り、壁に皿をブチ投げて叫びたくなる。だけど人は誰でも最終的には、ひとりであり、ひとりは寂しいものなんです。あなただけでは、ない。仕方がないことだから、凄く寂しい時は好きな音楽を少し聞いて、携帯の電源を切って、寝よう。
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その後
取材相手に「これから、高校野球の甲子園大会で活躍した野球部のOB飲み会があるので、行きませんか?」と誘われた。どうやら20年ほど前に高校野球で甲子園を沸かせたメンバーが集まるらしい。せっかくのお誘いなので、ついて行く事にした。30人ほどの気楽な集まりは、自ずと高校時代の試合の話になり、そこにいた一人がエラーをして、逆転され優勝を逃したという話になった。「いやはや、申し訳ない」と頭をかいて笑っていたが、なおも周囲は冗談で「あの時に優勝してたら、ここにいるみんなの人生もかわっていたかもしれないのだ」「あれは、伝説のエラー」と、その話題で盛り上がった。お開きのあと、2次会はご遠慮して、駅に向かったが、いつもの癖で、表通りではなく、細い路地を通った。何気なくカウンターだけの小さな居酒屋の中を見ると、先ほどのエラーをしたという人の横顔があった。このまま、通り過ぎよう、と思ったとたん目が合い、店に入ることにした。「僕の人生は、17歳の、あのエラーから変わったんです。久しぶりのOB会でしたが、まだまだ、俺は忘れてもらってないな、と思いました」と、熱燗を飲みながら言った。この20年間、言い続けられてきたそうだ。「あの時、ボールを落とさなかったら」と。当初は、学校でも同級生に責められ、教師も冷やかだった。家族の元にも嫌がらせの電話が続いたり、見知らぬ人から露骨に罵声を浴びせられた。社会人になっても「あの時、ボール落とした人でしょ。ここっていう時に、ついてなさそう」と笑いながら言われたりする。さわやかなスポーツ精神を謳うアマチュアスポーツだが、非難中傷は容赦ない。頂点に昇った選手の栄光や美談の陰で、たった1球のボールを落としただけで、その後の人生を変えられた人がいる。トップをめざすレベルの団体競技というものは、そう言う意味で、リスクも少なからず背負うことになることを、思い知った。
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それはない
最近、相次いで宴席に招かれた。襲名披露、祝賀会、囲む会…。いずれも200人前後という規模。主役の功績や門出を祝う会のはずだが、開会の挨拶のあと、乾杯が終わると、かなりの人が席を立ち、名刺交換を始めた。果たして、いつからこのような行為が当たり前になってきたのだろうか。こちらは慣れっこで「いつ見ても無粋な光景だな」などと思いながらも、席まで挨拶に来てくださる方々と、やはり名刺交換をしながら歓談。隣席のご婦人は「な、なんで皆さん、立ってるの???」と驚くことしきり。祝われる本人は着席したままで、舞台上では主賓の挨拶も始まっている。なのにかまわず名刺交換を続けるなんて。これが世の流れと言えども、何度みても心がザワザワする光景だ。司会者が芸能人ほかの出席者への配慮から、写真撮影の制限と、SNSへの写真の露出は不可と何度も何度も伝えていた。「舞台上の撮影はご遠慮ください。撮影はオフィシャルのカメラマンだけとさせていただきます。肖像権の関係でSNSへのUPもご遠慮いただけますでしょうか」と、やかましいほどに呼びかけられてたにもかかわらず、次の日にはUPの嵐。それはないでしょ。
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タイミング
知人から聞いた話。彼女の叔母は4年半前に余命3か月と医者に宣告された。名医として有名で、信頼している先生だったので、受け入れることができた。同じ病院の違う医師によるセカンドオピニオンも、ほぼ変わらなかった。すでに夫を見送った60代。長年勤め、定年後も請われて働いていた職場を辞した。職場の仲間、親戚、友人に別れの手紙を書き、形見分けをし、子供がいないので家を処分して、財産の生前贈与や寄付も済ませた。後は、静かに最期を待つばかり、と思っていたが、今も生きている。寝たきりではなく、賃貸マンションから通院しながら、趣味の俳句も続けている。色々な要因はあるにしろ、自分は当分はこのまま生きていけそうな気がするのだと叔母さんは話しているらしい。しかしながら、困ったことに働くことをやめ、家と財産を処分した身であるから、経済的な問題が生じてきた。大好きな庭いじりも近所の人達との交流も無くなった。「もう少し様子をみたら良かったかもしれないが、急にいろいろなことができなくなるかもしれないと思って」と言っているそうだ。姪である知人は忸怩たる思いでいる。小さい頃から可愛がってもらった叔母にこんな思いをさせるなんて。あの時、もっともっと考えれば良かった、と。行動を起こすタイミングは、とても難しい。
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無いっ!
汗ばむ陽気のある日。突然、気が付いた。ウォーキングクローゼットの中の服が6着も無い。初夏から初秋に大活躍してくれる、外出着とパーティーウェアが、根こそぎ。どこかに仕舞ったこと自体を忘れたのか、それとも…。自分にしては高価かつ気にいっていたアイテムばかりが、消えている。念のため馴染みのクリーニング店にたずねると「コンピューターで調べましたが、すべて引き取っていただいています」との返事。そう言えば、パールのネックレスも見当たらない。いつか、どこかから出てくると思っていたが、これってまさか…。夕食時に両親に伝えると、まず父が「それは空き巣に取られたにちがいない。実は本に挟んでいたへそくりの10万円が無いと思ていたところだ」と言った。「それって、いつの話?」「いやー、1か月前までは確かにあった。いや、あったと思う。そうかあ、ボケたと思ってたが、泥棒かあ。お前の服はいつまであった?」「うーん、それが夏服なんで、気に留めなかった。でも去年の10月にはあったような…。(父、訝しげ)…いや、ありました」というような会話を続けていると、母が「うちはセキュリティもしっかりしているし、そもそも、金目のものではなく、洋服を盗むなんておかしいわ。お父さんのへそくりも、はさんであるページまで特定できない。それよりも、バッグを変えた時に応接間のテーブルの上にポンと置いた商品券が見当たらなかったの。包装紙と一緒に捨てたと思っていたんだけど、泥棒かしら」と言った。それからというもの、普段から、探し物ばかりしている両親は、何か見つからない物があると「やっぱり、ドロボーにちがない」と言いあっている。それにしても、かずかずの品は、いずこへ?
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誇り
知人から「YouTubeに2017年のクリスマスにNintendo Switchをゲットして歓喜する子供たちシリーズがある。中でもPart7は出色。日本人として誇りだね」と聞き、さっそく見てみた。海外の子どもたちが、ベリベリとプレゼントの包装を破り、中から出てきたものを見るなり「Oh! Nintendo Switch」と叫び、泣きだしたり、のたうちまわったりして喜ぶ姿が集められていて、あまりの喜びように見ている側も幸せな気分になる。そう言えば、と感銘を受けた言葉を書き留めている手帖を取り出した。もう数十冊になるのだけれど、いつ読んでも、どの言葉も古びずに新たな力を与えてくれる。確か、この辺にと探し出して読み返すと「自分の功績が自らの人生に何を与えたかと考えた時、銀行口座にいくら金が貯まったかなどとは意味のないことだ。あなたの愛することをやり、あなたのすることを愛しなさい。なぜなら、それが人々があなたについて記憶する姿だからだ。それをSatoruIwata から学んだ」とあった。ゲーム界のレジェンド、任天堂の前社長・岩田聡さんが亡くなった際に寄せられた、南アフリカのある有名なコラムニストの追悼の言葉だ。同じ京都にいるということもあり、岩田さんとは面識があったが「僕の名刺の肩書きは社長ですが、頭はゲームの開発者、そして本質はゲーマーですよ」と言っていた。42歳でいきなりの社長抜擢で畑違いの開発から経営へ。その道は決して平坦では無かったが、強い思いで進んだ。ゲームは賭博ではなく、子供たちに夢を与えるもの。その思いを遺された人たちが引き継ぎ、世界的に大ヒットとなった持ち運べる家庭用テレビゲーム機「Nintendo Switch」を生んだ。世界中の子どもをこれほどまでに喜ばせているのは日本の会社だという日本人として誇りを感じ、人生をゲームに捧げ、55歳で逝ってしまった岩田さんの笑顔を思い出した。
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しまつ
先日、50代の男性4人と、とんかつ屋で食事をした。いずれも経営者で、お金をかなり自由に使える人ばかりだ。食べながら、そのうちの一人が「俺、この間もこの店に来たわ」と、その時の話を始めた。河原町通りに面した交差点角にある店の駐車場は一般でも使えるコインパーキングになっている。彼は、ある日の昼食に1,200円のとんかつ定食を食べて店を出た。
30分後に、急にその店のすぐ先のビルに入っている経理事務所に行かねばならなくなり、車で駆けつけた。駐車場が見当たらず、同じ店の駐車場に入れたそうだ。「それで、戻ってきたら、駐車料金が1,500円になってた。うーん、と考えて、店を利用したらタダになるから、もう1回、同じとんかつ定食を食べたわ。さすがに食えへんかったわ。わはは」と笑った。それを聞いた残りの3人が「コーヒーだけにしたらよかったのに」「食べ残したとんかつ、もったいないな。お持ち帰りしたら良かったのに」「ほんまに、いい事思いついたな」という言葉を、ほぼ同時に真顔で発した。その翌日。ある寺の御奉仕で庭の掃除を手伝った。落ち葉を満杯にビニール袋に入れて、口を結んで捨てようとすると、そこの御亭主に「まだ、捨ててはいけない。口を結んで置いておくと、中の落ち葉がだんだん朽ちて空間ができる。そこにまた、新しい落ち葉を入れる。それを繰り返して、もう入らないというところまで入れてから捨てるのです」と言われた。ああ、これが「男のしまつ」なのだな。どちらの時も、愛しさに微笑んでしまった。