QOL Hand to Hand Bazaar   

 

2014/11/23(sun)  11:001900

                    (入場無料。無くなり次第終了) 

京都・河原町 村上重ビル4階

 

阪急「河原町」駅から徒歩1分、お漬物「村上重本店」東側すぐ 

℡ 075-353-0802   http://bijuu.jp/

 

すごく大切にしたいと思って手に入れたけれど、今は使わない。でも、捨てるのはしのびない。

そういった品物を集めてバザーを開きます。普通のリサイクルマーケットと違うのは、持ち主の名前、こだわり、入手や手放す理由などのストーリーが、全品に添えられていること。

大切に使ってきたものだから、同じように愛おしく思ってくれる人に託して、ものを大切にしていきたいという、私たちの思いに賛同してくださった皆さんに出品していただきました。

一点もの、アンティーク、海外購入品、ブランド品など。いずれも、センスあふれるものばかり。

どうぞ、新しい持ち主になってください。

 

 QOL Hand to Hand Bazaar について

 

私たちと物との出合いは、人との出会いのように「必然」であるように思います。

持っているだけで安らぐ、次世代にたくしたい、思い出が詰まっている

そういうものは手放すことはできません。

 では、気に入って購入したけれど、今は使わないものは?

年齢やライフスタイルに合わなくなったものは?

一生懸命働いて得たもの、旅先で見つけた思い出があるものは捨てるには忍びありません。

 

私たちは、そういうものを抱えている人があまりにも多いのに気が付きました。

思い切って、大切に使ってくれる人に譲ってみたらどうだろう。

そういう思いから始めます。

個人のセンスで見いだされたものあり。

珍しい1点ものあり。

ブランド品あり。

使っていた人物の名前と、人となりが温かく伝わってくるメッセージつき。

Bazaarで、新しく、そして必然的な“出合い” を生みたいと思っています。

 

*収益の一部を、東日本大震災で多くの人、家などを失った宮城県亘理(わたり)町で、地域コミュニティを復活させるために活動している地元の女性グループ「WATALIS(ワタリス)」に寄付させていただきます。

 毎回、収益の一部を、その活動に共感させていただいたグループに役立てていただきたいと願っています。

 今回は、宮城県南部に位置する亘理(わたり)町で活動する女性グループ「WATALIS(ワタリス)」に御縁をいただきました。仙台市から南に約26kmの距離に位置する町は、東日本大震災により甚大な被害を被りました。ことに海岸地域の家々はすべて津波により失われ、今もなお多くの人々が仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされているそうです。

 そんな中で、愛する故郷の復活を想い、さらに、地域のコミュニティー再生の願いを賭けた地元の女性たちが、手仕事プロジェクトを立ち上げたのです。現在はコアメンバーを中心に、約40名の女性たちが関わるプロジェクトとなっていて、自分に応じた技術や時間のなかで作業を手分けしています。土地に古くから伝わる「ふぐろ」をイメージし、着物をほどいて縫った「FUGURO」のほか、手仕事によるものづくりに取り組んでいます。 

 

当日、WATALISの一筆箋を販売します

当日はWATALISが福島市の㈱第一印刷と共同開発した一筆箋「吉祥文様」編4種が届きます。縁起がよく「幸せのしるし」として用いられるおめでたい文様が施されています。一柄20枚綴り、一冊 496円(税込)です。

 

QOL文化総合研究所

 

6028298 京都市上京区泰童町2882F

 075-414-1212 FAX 050-3383-1385

e-mail infoqol-777.com

☆を@に変えてご連絡ください

 

著作権ほかについてのお願い

このウェブサイトに関するすべての著作権は、QOL文化総合研究所に帰属します。このサイトで公開されている文章や画像の一部またはすべての無断転載はお断りいたします。このサイトをご紹介いただく場合は、なるべく事前にご連絡ください。当サイトにアクセスしたことによる、または、その情報を利用したために発生した損害に対しては一切の責任を負いかねます。

 

You&Me

64

 

トラックと灯篭

 

 

高校時代から仲良くしている同級生グループがある。中心的な6人は皆勤。その他、数人が入れ替わり、盆暮れのほかにも、あれこれ理由をつけて集まる。女性は自分だけ。住まいは、地元に半分、関東に半分と言う分布図。16歳から付き合ってきた面々は、もう人生の朱夏にさしかかっている。話題も年相応になってきた。その中の一人の話に、全員が聞き入った。「ちょっと早いけど、両親ともに施設に入ってもらったんやわ。俺はちょっと離れたとこに家を建てたやろ?実家が空くやろ?どうしたもんかな、と思ってたら、隣の広大な空き地に総合病院が建つことになった。それで、2年間くらい工事スタッフの仮宿に貸した。内装は好きなように触ってもいい、と言ったら、クーラー、洗面台、トイレ、流し台が新品になって返ってきた」。一同「それは良かったな」とうなずく。「それでな、しばらく放っといたんやけど、近所の長谷川から電話がかかってきて」「おー、あの同級生の長谷川くんか」「ガレージに置いてあったトラックが1か月くらい前から、無いで、て言われて。要するに盗まれたみたいや。廃車にしようと思てたから、まあ、ええけど」。「えーっ」とみんなが叫ぶ。「まあ、仕方ないな、と思ってたら植木屋から電話がかかってきて、灯篭がありませんで、と言われた。これまた盗まれたんやわ。それで植木屋が言うには、泥棒は素人やな、て」「な、なんで?」「灯篭の一番下の石台が残ってて、あれが無かったら価値無いらしいわ。これまた、デカい灯篭で、家を更地にする時に費用がすごいやろな、と思ってたから、まあ、良かった」「…なるほど」「それで、問題は、いつ盗んでいったか、トラックに灯篭を乗せたのか、という話になって、昼に作業服を着て、悠々と盗んだんと違うか、ということになったんやわ。しばらくして、きれいになったから、病院が貸してくれないか、ということになって貸してるんやわ」「それで?」「それで、どうせ更地にするから、自由に何してもいい、て伝えたんやわ。そしたら、こんなん、どないするの、ていう巨石2個を撤去して、古い外塀を潰して、雑草だらけの庭にコンクリートを敷いて、駐車場にして、病院が系列の介護施設に貸してるねん」「えーっ、又貸しやん」「ええねん。あの、どうやって運んで来たか知りたい、と長年思ってた巨石が無くなって、きれいに整備されたから、良かったわ」。今年は「まあ、ええねん」と気楽に生きてみよう、と思った次第。

 

63

 

椿

 

 

最愛の母が急逝して丸三年になろうとしている。 心臓が弱かった彼女は、直前まで笑っていて、突然、スッと眠るように逝ってしまった。別れを惜しむことも、感謝の言葉を伝えることも出来なかった。病弱な母を支えるために、大学時代から、かなりの自分の時間と気持ちを捧げてきたつもり、それでも至らぬ子供でごめんなさい、幸せだった?と聞くことも許されなかった。母は慎ましやかに生きた一介の主婦だったが、地域の施設にピアノを寄付したり、恵まれない母子たちを援助したり、と微力ながら社会貢献をしていたので、訃報を聞いて、びっくりするほどの人が悲しんでくれた。部屋に入らないくらいの多くの花が届き、病弱な自分をコントロールしながら懸命に生きた母の人生を誇りに思った。半年くらいたって、微かな疑問が浮き出てきた。南庭に面した道路を挟んで向かい側に、母を本当に頼りにしてくれた婦人がいる。引っ越ししてきてすぐに、ご近所との付き合い方や、子育ての相談に乗り、お互いの家族の成長を祝い、おすそ分けを交換し、長期に留守をする場合は連絡先を託してきた。その方から、お悔やみをいただくどころか、顔すら見なくなった。さらに年月が経ち、母とは何かあったのかもな、と思うようになった。2年ほど経ったある日、最寄り駅から自宅に向かう路上で、後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、そこに例の婦人が立っていて、静かに話し始めた。「私はね、〇〇さん(母のこと)が、もうこの世に居ないなんて信じていないし、認めていない。声は聞こえないけど、そういう時もあったし。けど、会えない。ほら、お宅の塀から椿の枝が出ていて、花が1輪、こちらに向いて咲いているでしょう?あっ、〇〇さんだ。私を励ましてくれてる、て思っているの」。その夜、前の道に回って、その椿を月あかりの下で見た。お母さん、あなたはたくさんの人の心の中で生きているのね。お母さん、いま、天国で何してる?私は「悲しみと絶望」という名の湖の湖畔を変わりゆく景色に励まされながら、グルグルと廻っている感じ。あなたを失って急に老け込んだお父さんと力を合わせて、何とか、やっているよ。

62

 

山の端

 

今年は多くを失った。取材した女優さんに「私、あそこの焼きそばがないとダメなの」と教えてもらった五条通に面したお好み焼き屋さんが閉店した。おばさんたちが、独特の手法で焼くキャベツいっぱいの焼きそばは、海外にも紹介されて、旅行者からも愛されたが、57年の歴史に幕を下ろした。日本を代表するアパレル会社が上場を廃止して倒産。パリコレでおなじみのデザイナーのコレクションを扱っていて、とても贔屓にしていたが、ある日、突然に購入できなくなった。中学時代から通っていた滋賀県大津の百貨店が閉店した。ポストには、日に2,3枚の割合で閉店や廃業の知らせが投げ込まれる。時世と言えば、それだけだけど、しかし、一気に思い出の場所や大好きなものが、手のヒラから流れおちる白砂のように無くなっていく。人の感情に「あきらめ」というのがあって良かった。でないと、惜別の沼から這い上がれない。しかし、失って一番、悲しかったのは何かと聞かれれば、それは自宅から見えていた山々の端だ。自宅の斜め前に広がる、100台ほどの駐車場の敷地半分にマンションが建設されている最中だ。あれほどの広さの駐車場を維持するのは大変だっただろう、と考えていたが、だんだん足場が作られていき、気が付いた。我が家の居間から庭を通して見る山々の端が見えなくなる。試験前日の徹夜明けに見た。海外旅行に行く前に浮き浮きしながら見た。友人からの電話を受けて心配しながら見た。父親とけんかして、申し訳なくて反省しながら見た。何千回と見た。特に美しいのは、山の端が夕暮れに染まってから薄暮に向かう時。励まされ、癒され、あたりまえにあると思っていた時間。その風景がさえぎられて失われた。そして、また、あきらめるんだろう。生きるって、こういうことなんだ。

 

 

61

 

悲しみ

 

大切な人が、ある日、逝った。元気だったのに、突然に。明日はあると思っていたのに。耐えられないのではないかと思うような悲しみが押し寄せる。その人が生活をしていた空間に身を置くと、二の足の裏から体の軸を伝って心臓を射るような思いが襲う。数々の物が遺されたが、中でも洋服と靴下は抱きしめたくなるような愛しさだ。この服を着て、笑いながら紅茶を飲んでいた。歩き方に癖があったから、靴下のいつも同じところがすぐに薄くなった。洗濯が下手だと怒られた。共に異国を巡る旅を満喫した。もう二度とその体に触れることができない。遺された服たちを手にとると、それを着た姿が次々に浮かび、涙があふれた。いつかは訪れると恐れていた別れ。永遠に続くものは何もない。時の流れと共に悲しみは薄れると言う。たとえ、薄れても消えはしない。ありがとう。そして、さようなら。また、会える、その時まで、さようなら。でも、本当は、一度でいいから、すぐに会いたい。